「関連年表」
1870年7月19日 普仏戦争が勃発
1870年9月 カミーユをブーダンに託して、自身は徴兵を逃れて、ロンドンへ発つ。ドビーニー、ピサロと出会い、ピサロと共に絵画制作を行う。ドビーニーからは画商デュラン・リュエルを紹介される。
1871年1月17日 父アドルフが亡くなる。
1871年1月28日 普仏戦争の休戦協定が締結。
1871年春 ピサロとともに美術館を巡り、ターナー、コンスタブルらのイギリス風景画家の作品に接する。
国会議事堂とテムズ川 (La Tamise et le Parlement)
クロード・モネ 1871年
W 166
キャンバスに油彩 49 x 74 cm
ナショナル・ギャラリー ロンドン
ハイドパーク (Hyde Park)
クロード・モネ 1871年W 164
キャンバスに油彩 41 x 74 cm
ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン美術館
プロビデンス
オリジナル(1600×843, 252 KB)
グリーンバーク (Green Park)
クロード・モネ 1871年
W 165
キャンバスに油彩 34 x 72 cm
フィラデルフィア美術館
ロンドン岸辺の船舶 (Bateaux dans le bassin de Londres)
クロード・モネ 1871年W 167
キャンバスに油彩 47 x 72 cm
オリジナル(1280×819, 194 KB)
ロンドン岸辺 (Le Bassin de Londres)
クロード・モネ 1871年W 168
キャンバスに油彩 49 x 74 cm
ボストン美術館
オリジナル(1280×817, 196 KB)
モネの絵に描かれるロンドンは今回紹介した5作品及び晩年の「国会議事堂」、「チャリング・クロス橋」、「オータルー橋」の連作を通して、ほぼすべての作品が霞んでいるか、霧で完全に覆われています。
これはモネが霧によって屈折する幻想的な光を表現する事に興味があったのは事実ですが、同時のロンドンは世界に先んじて工業化が進んだため、元々、冬に霧の出る日が多かったのに加え、粉塵により発生するスモッグと相まって、晴天の碧々としたロンドンを描こうにも、描くことができなかったというのが真相のようです。