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2013年9月1日日曜日

「プールヴィルの断崖の上の散歩」日傘の女とモネ


プールヴィルの断崖の上の散歩 (Promenade sur la falaise, Pourville)

出典 commons.wikimedia.org Lサイズ(1280×1026, 372 KB) オリジナル(2807×2251,  3207 KB)

解像度: ★★★★★ おすすめ度: ★★★★★ 

クロード・モネ 1882年
W 758
キャンバスに油彩 65 x 81 cm
シカゴ美術館


本作では、エトルタの海岸の両端にある2つの断崖のうち、海に向かって右側にあるアモンの崖(La falaise d'amont)の風景が描かれています。モネにとって2度目のプールヴィル滞在であり、家族と共に逗留した1882年(当時42歳)6~10月までの間に制作されたと思われます。

推測ですが、画面には後妻のアリス・オシュデとその娘がプールヴィルの崖の上に立つ姿が描かれていて、右奥の女性は赤い日傘を差しています。

モネの作品の中で度々出てくる重要なモチーフである日傘を差す女性は、絵を見るものに、夭折した最初の妻カミーユ・モネをモデルとした傑作「日傘の女」を想起させます。この作品を描きながら、モネの心中にも「亡き妻カミーユの姿が去来していたのではないか。」と、私は思います。

また、崖の地形を最大限に活かした構図は、岸壁の緊張感と海と空の開放感の双方をこの絵に与え、より人々に興味を抱かせることに成功しています。

本作を題材とした、モネ作品の特徴である様々な筆触を活かした動画が、YouTubeに投稿されていたので、下記に引用させていただきました。





また、下記に、「プールヴィルの断崖の上の散歩」に関連する作品を列挙しました。


プールヴィルの断崖の縁 (Bord des falaises à Pourville)

出典 www.flickr.com Lサイズ(1280×762, 238 KB) オリジナル(3605×2146, 3542 KB)

解像度: ★★★☆☆ おすすめ度: ★★★★☆

クロード・モネ 1882年
W 751
キャンバスに油彩 61 x 100 cm
個人収蔵


プールヴィルの断崖の縁 (Bord de la falaise à Pourville)

Lサイズ(1280×943, 355 KB) オリジナル(2000×1474, 1007 KB)

解像度: ★★★★☆ おすすめ度: ★★★★☆

クロード・モネ 1882年
W 752
キャンバスに油彩 60 x 81 cm
メトロポリタン美術館 ニューヨーク


ディエップの断崖の上で (Sur la Falaise à Dieppe)

出典 www.flickr.com オリジナル(1200×720, 171 KB)

解像度: ★★★☆☆ おすすめ度: ★★★★☆

クロード・モネ 1882年
W 754
キャンバスに油彩 60 x 100 cm
ナショナル・ギャラリー ワシントンD.C


プルーヴィルの断崖の上で (Sur la Falaise à Pourville)

Lサイズ(1280×1002, 430 KB) オリジナル(2000×1565, 2350 KB)

解像度: ★★★★☆ おすすめ度: ★★★★☆

クロード・モネ 1882年
W 755
キャンバスに油彩 65 x 81 cm
ストックホルム国立美術館


プールヴィルの断崖の上で、晴天 (Sur la Falaise de Pourville, temps clair)

Lサイズ(1280×1016, 402 KB) オリジナル()

解像度: ★★★★★ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1882年
W 756
キャンバスに油彩 65 x 81 cm
ニューヨーク近代美術館


プールヴィルの断崖の縁 (Bords de la falaise à Pourville)

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×1073, 541 KB)

解像度: ★★★★☆ おすすめ度: ★★★★☆

クロード・モネ 1882年
W 757
キャンバスに油彩 60 x 73 cm

2013年3月25日月曜日

「サン=ドニ街、1878年6月30日の祝日」


サン=ドニ街、1878年6月30日の祝日 (La Rue Saint-Denis, fête du 30 juin 1878)

出典 www.flickr.com Lサイズ(921×1280, 378 KB) オリジナル(1300×1807, 828 KB)

解像度: ★★★★★ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1878年
W 470
キャンバスに油彩 76 x 52 cm
ルーアン美術館


本作は1878年6月30日、3回目のパリ万博の成功を記念に催された祝祭の喧騒が描かれています。

ナポレオン3世による第二帝政は普仏戦争での敗北をもって終焉し、パリ・コミューンの蜂起の後、街の中で市民が集まることが禁止されていたため、久々に行われた、この祭りは大いに盛り上がりました。

三色旗はパリ市の呼びかけによって市民が窓辺に掲げたものですが、モネ独特の大胆な躍動的な筆致で描かれた揺らめく三色旗は、市民の熱狂ぶりを代弁しているようです。

画面中央右の三色旗の白い部分には「VIVE LA FLANCE(フランス万歳)」と記されています。この祝祭で、新たにフランス国民としての矜持が彼らに再燃したと推測されます。

フランスの国旗は「トリコロール(三色旗)」と呼ばれ、三色はフランス革命の精神である「自由、平等、博愛」を表しています。

モネはこの光景をもう一ヶ所で描いているので下記に示します。どちらも労働者階級が住む街で、パリの中央市場があったマレ地区のモントルグイユ街を建物の上から、通りの北方向を描いたものです。


モントルグイユ街、1878年6月30日の祝日 (La Rue Montorgueil, fête du 30 juin 1878)

出典 www.flickr.com Lサイズ(778×1280, 354 KB) オリジナル(1320×2172, 1113 KB)

解像度: ★★★★★ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1878年
W 469
キャンバスに油彩 80 x 48 cm
オルセー美術館 パリ

2013年3月23日土曜日

「キャプシーヌ大通り」 近代的都市風景


キャプシーヌ大通り (Le Boulevard des Capucines)

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×847, 282 KB)

解像度: ★★★☆☆ おすすめ度: ★★★★★ 

クロード・モネ 1873年
W 292
キャンバスに油彩 61 x 80 cm
プーシキン美術館 モスクワ


ナポレオン3世によるパリの大改造によって生まれ変わろうとしているパリの都市景観を「現代性」をテーマに描かれた作品です。

本作はパリのオペラ座付近のキャプシーヌ通りを写真家ナダールのアトリエから俯瞰するという、当時としては斬新な構図で描かれています。

モネとナダールは画家と写真家という立場上、写真技術の普及で職を失う画家が続出する時代背景を考えると、対立関係にあってもおかしかくありませんが、親交があり、「第一回印象派展」もこのアトリエで開かれるほどでした。

気球の操作技術にも通じていたナダールは、パリで世界初の気球による空中撮影を行った人物でもあります。モネがこの俯瞰写真から何らかのインスピレーションを受けて本作を制作した可能性は十分考えられます。

画面右端には同じ建物の同じ階のバルコニー身を乗り出して大通りの様子を傍観する帽子を被った二人の紳士が描かれており、この絵を鑑賞するものが実際にその場に居るような錯覚を起こさせます。

また、画面左側の陽光に照らされ黄金色に輝く建物と並木と、右側の通りを行き交う人々の黒色との対比が作品の魅力を増幅させています。

「印象、日の出」を酷評したルイ・ルロワは本作に対しても、通りを行き交う人々を「無数の黒い涎」と揶揄していますし、また、ある批評家は「驚くべき習作あり、運動の瞬間なるものを描いた。」としながらも、「間近で見ると判読できない絵の具の削りかすの混沌だけが残る。」と、称賛とも批判とも取れる感想を述べています。

しかし、第一回印象派展は全体としては失敗という結果に終わりますが、この展示会を契機に時代は動き、ブルジョワ階級の台頭という時代背景も味方し、徐々に印象派の画家達は世間に認められるようになっていきます。

モネは、もう一つ、同時期に同じ作品名の縦長の作品を残しているので下記に示します。研究者によっては、こちらを第一回印象派展出品作と考えている人も居ます。


キャプシーヌ大通り (Le Boulevard des Capucines)

出典 www.flickr.com Lサイズ(950×1280, 293 KB) オリジナル(1320×1778, 570 KB)

解像度: ★★★★★ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1873年
W 293
キャンバスに油彩 80 x 60 cm
ネルソン・アトキンス美術館 カンザスシティ

また、ピサロも同じような俯瞰の近代的都市風景画の連作を1897年にホテル・ドゥ・ルーヴルの一室を数ヶ月間貸し切って、15作品残しています。

その中から、上記の縦長の作品と雰囲気がよく似た作品で私のお気に入りの作品があるので、下記に示します。


モンマルトル大通り、冬の朝 (Boulevard Montmartre Winter Morning)

Lサイズ (1280×925, 442 KB) オリジナル(3943×2848, 3080 KB)

カミーユ・ピサロ 1897年
キャンバスに油彩 65 x 81 cm
メトロポリタン美術館 ニューヨーク


2013年3月12日火曜日

「印象、日の出」 印象派の名の由来


印象、日の出 (Impression, soleil levant)

www.flickr.com オリジナル (1280×1041, 209 KB)

解像度: ★★★★☆ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1873年
W 263
キャンバスに油彩 48 x 63 cm
マルモッタン美術館 パリ


1872年作と日付が書かれていますが、1873年に描かれた作品です。モネは後に、この作品の題 名について、「カタログに載せるために題名をつけてほしいといわれたが、これに『ルアーブルの眺」』という題をつけることはできなかっ た。そこで『印象』としてほしいと言った。」と説明しています。

印象派の名の由来となった、モネの傑作の一つで、印象派の象徴とも言える作品です。 朝もや中、ル・アーヴル港に太陽が登る幻想的な風景が大胆な筆致で描かれています。

画面中央下から左斜め上方向に描かれている、海上を移ろう3艘の小舟のシルエットの濃淡が作品に奥行きを与え、斜め方向に一直線んに並んだ小舟と太陽からなる三角形が印象的です。

太陽の海面への反射や波は、筆触分割の技法で描かれ、遠景には、工場の煙突や帆船、クレーンなどが素早い大胆な筆致で大気に溶けこむように描かれています。

当時の主流であった写実的なアトリエでじっくり時間をかけて描かれた作品とは対極をなす、即興的で、その景色を見た瞬間の印象を写し撮ったかのような作品です。

1985年、「マルモッタン美術館絵画強奪事件」で、この絵は盗難に遭いますが、5年後、コルシカ島で無事発見されました。

<第一回印象派展 >


印象派という名称は本人たちが名乗ったものではありません。出品されたモネの「印象、日の出」を見た批評家ルイ・ ルロワが、風刺新聞シャリ ヴァリ誌に「印象主義者(仏語でアンプレッショニスト)の展覧会」というタイトルで、会話調の次のような酷評を載せました。

「印象?確かに私もそう思った。私も印象を受けたんだから。つまり、その印象が描かれているというわけだ。だが、なんというでたらめ、なんといういいかげんさだ!この海の絵よりもまだ、作りかけの壁紙の方がましだ。」

このルイ・ルロワの批評が書かれるまで、「アンプレッショニスト」という言葉は、美術のジャンルや人々を指す言葉としては用いられおらず、 このルイ ・ルロワの「印象、日の出」の『印象』のフレーズを転用しタイトルにした記事が、モネやルノワール等のグループを『印象派』と呼ぶ要因になりました。

「印象、日の出」は、おそらく展示された作品の中でも、最も非アカデミックな絵だったと思われますが,この展覧会そのものに関しては、それほどひどい非難があったわけではないことが最近分かってきました。

フランスがプロシアとの戦争に負けて、国中が戦債を償っている非常時に、サロンのように税金を使うのではなく、「自分たちの資金で運営する自主的な企画は望ましい。」というような好意的な論評もあったようです。

初め、この展覧会は「画家・彫刻家等の芸術家による共同出資会社」(フランス語:Societe anonyme cooperative d’artisites - peintres, sculpteurs, etc)の展覧会と命名されました。Societe anonymeは現代の株式会社に相当します。

この展覧会には、モネやルノアール、ピサロ、ドガ、セザンヌなどが作品を出品しています。印象派展は以後8回行われました。ではなぜ、資金を出しあってまで展覧会を開いたのかというと、無審査の展覧会を開くためでした。

当時、画家として生計を立てるには、権威のあるサロンで入選することが絶対条件でした。なぜなら、入選した絵しか、高値で売れなかったからです。よって、自分が本当に描きたいものを描き、内容のある作品が出来上がったとしても、サロンの審査員の趣向に合わなければ、入選できず、食べていけません。

そこで、モネ、ルノアール等後に印象派と呼ばれる、サロンでは受け入れられなかった進出気鋭の画家たちは、サロンとは異なる無審査の展覧会を開いて、独自に顧客を開発しようと試みました。


モネにはもう1点ル・アーヴル港の日の出らしきものを描いた絵があるので、下記に示します。


日の出 (Soleil levant)

出典 commons.wikimedia.org Lサイズ (1320×847, 282 KB) XLサイズ (1600×1245, 1832 KB)

解像度: ★★★☆☆ おすすめ度: ★★★☆☆

クロード・モネ 1873年
W 262
キャンバスに油彩 49 x 60 cm
J・ポール・ゲティ美術館 ロサンゼルス

実際には、第一回印象派展に、どちらを出したかという証拠がなく、当時の批評等を読んでも、確定的にこちらだと言えるものがありません。

印象派の研究者リウォルドは、著書のなかで、「こちらではないか。」と言っていますが、これも証拠がないので、いくら大家の言ったことでも受 け入れられていません。


ノラム城、日の出 (Norham Castle, Sunrise)

出典 www.tate.org.uk オリジナル (1078×796, 70 KB)

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 1845年
キャンバスに油彩 91 x 122 cm
テイト ロンドン


上記のタナー作「ノラム城、日の出」はモネやルノアール等の印象派の画家達に多大な影響を与えたとされる作品です。

特にモネは1971年(31歳)、普仏戦争の徴兵を逃れてロンドンを訪れた際に、この絵を見て感銘を受けたようです。

ターナーが他界してから10年後に発見された本作は、当時の人々にとってはあまりにも抽象的な作品に映り、完成作なのかどうか判断がつかず、かなりの議論となった逸話がある絵です。

ある意味、モネの「印象、日の出」よりも38年前に描かれているにもかかわらず、よりモダンで斬新な印象を、私達後世の人々には与えます。

この絵をモネが見ていなかったら、もしかすると、現代の絵画史は全く別の物になっていたかもしれません。

2013年2月17日日曜日

「アルジャントゥイユのひなげし」懐かしい情景


アルジャントゥイユのひなげし (Les Coquelicots à Argenteuil)

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×987, 538 KB)

解像度: ★★★★☆ おすすめ度: ★★★★☆

クロード・モネ 1873年
W 274
キャンバスに油彩 50 x 65 cm
オルセー美術館 パリ


本作はアルジャントゥイユ近郊の風景を題材にした作品群の中では最も著名な作品です。

画面右下には風に日傘を煽られているカミーユと、ひなげしを大事そうに抱えているジャンが描かれています。左上にもう一組の親子が描かれていますが、この親子もカミーユとジャンだと考えられています。

親子の様子を近景と遠景で同時に描くことによって、草原の坂道を下る親子の時の推移を表現したかったのかもしれません。草むらに咲き誇るひなげしの赤と空の青との対比がとても鮮やかです。

親子が散歩する様子を即興的に描いた作品ですが、私たち誰しもの心の中にある懐かし大事な情景を呼び起こしてくる作品だと思います。私も母と、母の実家の田舎の周辺を散歩した日のことを思い出し、懐かし思いに駆られました。

この作品はルノアールの 「草原の坂道」(下記)との関連性がよく指摘されています。


草原の坂道 (Chemin montant dans les hautes herbes)

出典 www.flickr.com オリジナル(1024×820, 342 KB)

ピエール=オーギュスト・ルノワール 1874年
キャンバスに油彩 60×74 cm
オルセー美術館 パリ

detail

出典 www.flickr.com


本作は人物画に比して作品数が少ないルノアールの風景画の中で代表作として知られています。

上記のモネの作品とほぼ同時期に描かれ、モチーフも同じアルジャントゥイユ近郊の坂道を下る親子の様子を描いた作品ですが、「ラ・グルヌイエール」を描いた5年前に用いていた筆触分割の技法は見られず、モネとは違った筆致や色彩でルノアール独特の世界観が表現がされています。

全体的に黄色の明るい色調で描かれていて、ひなげしと日傘の赤色がアクセントになっています。人物は景色と溶けこむように描かれていて、人物の表情などの細部は簡略化されています。

先に投稿した「ラ・グルヌイエール」と本稿を見比べて、二人が歩んだ約5年間の歳月に思いを巡らせるのも一興です。

2013年2月4日月曜日

アルジャントゥイユのレガッタ (印象派独特の大胆な筆致)


アルジャントゥイユのレガッタ (Régates à Argenteuil)

Lサイズ(1280×823, 231 KB) オリジナル(1600×1029, 1134 KB)

クロード・モネ 1872年
W 233
キャンバスに油彩 48 x 75 cm
オルセー美術館 パリ


本作ではアルジャントゥイユのセーヌ川で行われていたヨットレースの準備の最中の情景が描かれています。何より目を引くのは水面に反映するヨットの帆や岸辺の小屋等が実にのびのびとした大胆な筆致で描かれている点です。

もし、保守的な批評家がこの絵を見たら、モネの代表作「印象、日の出」と同じように辛辣な批評を浴びせたことでしょう。

画面は、ヨットの帆の白、空の青、岸辺の草木の緑、小屋のオレンジの4色の単色だけで、ほぼ構成されています。近目でまじまじとこの絵を見てしまうと、ただの雑な絵に見えてしまいますが、遠目で見ると、不思議なことに、とても臨場感のあるイキイキとした絵に見えてきます。

ちなみに、この絵を購入したのは印象派の擁護者だったカイユボットです。その当時は世間の日陰者だった印象派の絵を買い取り、擁護したその見識眼には恐れ入ります。近頃はカイユボット本人が描いた作品も注目されています。


小舟、アルジャントゥイユのレガッタ (Les Barques, régates à Argenteuil)

Lサイズ(1280×849, 334 KB) オリジナル(2900×1923, 1901 KB)

クロード・モネ 1874年
W 339
キャンバスに油彩 60 x 100 cm
オルセー美術館 パリ

上記の有名なアルジャントゥイユのレガッタの絵とはうってかわって、色調が暗く、色彩のコンストラストは単調な絵ですが、大胆かつ細やかな筆致で、嵐が到来したヨットレースが行われている現場の様子が見事に表現されています。

荒れ狂う風の音や人々の怒声が聞こえてきそうなぐらい、緊迫感と臨場感にあふれた力作だと思います。

モネは 、川面の移ろいゆく一瞬の表情を観察するために、水上のアトリエをこしらえて、これらのセーヌ川の絵を描きました。下記にもう一作品アルジャントゥイユのレガッタの情景を描いた作品を紹介します。


アルジャントゥイユのレガッタ (Régates à Argenteuil)

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×769, 226 KB)

クロード・モネ 1874年
W 340
キャンバスに油彩 59 x 99 cm
個人収蔵

アルジャントゥイユのヨット(酷似する2人の画家の絵)




上記のアルジャントゥイユのヨットを描いた2つの絵を見比べてください。一方がモネ、もう一方がルノアールの作品です。一見すると「同じ絵ではないか。」と思うぐらい、似ています。


「上部上方の作品」

アルジャントゥイユのボート漕ぎ (Les Canotiers à Argenteuil)

クロード・モネ 1874年
W 324
キャンバスに油彩 60 x 81 cm

出典 www.flickr.com オリジナル(1042×802, 161 KB)


「上部下方の作品」

アルジャントゥイユのセーヌ川 (La Seine à Argenteuil)

ピエール=オーギュスト・ルノワール 1874年
キャンバスに油彩 50 x 65 cm
ポートランド美術館

オリジナル(1124×866, 249 KB)


以前にこのブログで紹介した「ラ・グルヌイエール」の絵も両者の絵は似ていました。今回紹介している2つの絵も同じ時に画架を並べて描いたものですが、ラ・グルヌイエールの絵以上に酷似しています。

私はこの2つの作品は両者が意図的に同じ筆致、色彩、構図で描き、それでもにじみ出てくる両者特有の作風というものを、お互いに確かめ合っているような感じがします。

この2つの絵は平成16年に文化村での展覧会で、並べて展示してあったそうです。その場に居合わせられなかったのがとても残念です。

当時、アルジャントゥイユの近辺は川幅が広く、水深も深かったので、パリ在住のブルジョアが週末の余暇をヨット遊びで過ごす行楽地でした。

ブルジョアが行楽地で余暇を過ごす光景を描くという発想は今まで誰も持っていませんでした。バルビゾン派のミレーが描く、畑で働く農民の崇高な姿とは違う、戸外制作の新しい試みを、モネやルノアールなど印象派と呼ばれる画家達が、この後、試行錯誤して行くことになります。

2013年1月3日木曜日

「カササギ」雪景色への挑戦


カササギ (La Pie)

出典 www.flickr.com  オリジナル(1320×894, 328 KB) ※ 2013/02/21 更新

クロード・モネ 1869年
W 133
キャンバスに油彩 89 x 130 cm
オルセー美術館 パリ


本作の作品名は「カササギ」とされていますが、「陽光を浴びた、まばゆい銀世界をいかに表現するか。」に主題はあります。

まず視線が行くのが、柵の木戸に止まっているカササギです。冬の凛とした雰囲気を表現するのに一役買っています。そしてカササギの背後に描かれた海や対岸と思われる遠景が一見平面的に感じられる絵に空間的な広がりを与えています。

そして、最も注目に値するのは、柵や木々に降り積もった雪の風合いを大胆な筆致を用い、見事に表現している点にあると思います。

モネは本作を制作している時期、経済的に困窮していました。妻と幼子を養わなければならない立場でありながら、サロンの保守的な審査員に受けの良い伝統的な手法ではなく、自分の信じる革新的な手法でこの絵を描きサロンに出品しましたが、落選してしまいます。

支える妻の気苦労や幼子のことをを思うと胸が痛みますが、これぐらいの無鉄砲な頑固さがなければ、歴史に名を刻むような人物には成れないのでしょう。

当時、西洋画では、雪景色はあまり描かれていませんでしたが、東洋では水墨画の技法を用い、余白をうまく雪に見立てた山水画が描かれていました。

例として雪舟の秋冬山水図(冬景図)を下記に示します。


秋冬山水図(冬景図)

出典 ja.wikipedia.org

雪舟筆 15世紀末~16世紀初
紙本墨画 30.2 x 47.7 cm
東京国立博物館


モネの曲線的で温かい雪景色とは対称的に、雪舟のそれは、大きくデフォルメが成され、鋭角的で厳寒を思わせます。

2012年12月15日土曜日

「ラ・グルヌイエール」印象主義の萌芽


ラ・グルヌイエール (La Grenouillere)

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×989, 569 KB) ※ 2013/02/06 更新

クロード・モネ 1869年
W 134
キャンバスに油彩 75 x 100 cm
メトロポリタン美術館 ニューヨーク


ラ・グルヌイエールは、セーヌ川沿いにあるパリ近郊のリゾート地です。グルヌイエールというは「蛙がいるような水溜り」という意味だそうです。

1869年夏、モネはブージヴァルで制作し、近隣の小さな部落サン=ミシェルの農家で生活していました。同時期、ルノアールはこのサン=ミシェルの隣のルーヴジェンヌに両親と共に暮らしていました。

1869年9月、モネは仲間のバジールにあてた手紙の中で、ルノワールとともにラ・グルヌイエールで水浴する人々を描く予定であると書いています。現地に行く以前からいろいろな構想を練って制作に臨んでいたと予想できます。

本作は将来、印象派を代表する画家となる二人が、同じ場所に画架を並べて、ほぼ同じ構図で絵を描いるため、二人の画家を比較検討する絶好の資料となっています。

画題には「ラ・グルヌイエール」という、一般市民の行楽地を選び、これまであまり描かれてこなかった現代生活を主題としています。また、二人は筆触分割という絵の具を混ぜないで使用する新しい技法を、波打つ水面に反射する光を表現するのに積極的に用いています。

モネは、人物を大まかに描き、風景の一部としてとらえ、背景の森林などは簡素に描き、水面の光の反射の効果を最大限に引き出しています。

また、本作は「印象主義」の萌芽を予感させる重要な作品として位置づけられています。


ラ・グルヌイエール (La Grenouillere)

Lサイズ(1280×1032, 416 KB)  オリジナル(3235×2609, 2813 KB)

ピエール=オーギュスト・ルノワール 1869年
キャンバスに油彩 81 x 66 cm
スウェーデン国立美術館 ストックホルム

ルノアールは、全体的に繊細なタッチ描かれていて、人物の描写に比重が置かれ、紳士淑女が談笑する声が聞こえてきそうなくらいです。


既に二人の画家の将来の方向性が伺え、とても興味深いです。二人はよく、ラ・グルヌイエールで作品を制作していたようで、似たような構図の作品がもう一対あるので下記に紹介します。


ラ・グルヌイエールの水浴 (Les Bains de la Grenouillere)

オリジナル(1947×1558, 437 KB)

クロード・モネ 1869年
W 135
キャンバスに油彩 73 x 92 cm
ナショナル・ギャラリー ロンドン

ラ・グルヌイエール (La Grenouillere)

オリジナル(1024×720, 337 KB)

ピエール=オーギュスト・ルノワール 1869年
キャンバスに油彩 65 x 92 cm
オスカー・ラインハルト財団 ヴィンタートゥール


最後に、モネが同じ夏にラ・グルヌイエールで描いた思われる2作品を紹介します。


小舟 (Barques)

     クロード・モネ 1869年
     W 137
     キャンバスに油彩 33 x 46 cm
     ブレーメン美術館
      

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×940, 297 KB)


桟橋 (L'Embarcadere)

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×975, 455 KB)

クロード・モネ 1869年
W 138
キャンバスに油彩 54 x 74 cm
個人収蔵


裏地がピンクの日傘の裏地が印象的で、当時大人気だった行楽地の優雅な雰囲気が伝わってきます。

2012年12月11日火曜日

「日傘の女」カミーユの残像


日傘の女 (La Femme a l'ombrelle)

出典 Wikimedia Commons Lサイズ(1030×1280, 303 KB) XLサイズ(2061×2560, 1302 KB)

解像度: ★★★★★ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1875年
W 381
キャンバスに油彩 55 x 66 cm
ナショナル・ギャラリー ワシントン


数あるモネの作品の中でも知名度、人気ともにトップクラスの作品です。 アルジャントゥイユの草原で、妻カミーユと息子ジャンをモチーフに制作されています。

この絵が制作された時期は、人気が出始めてパトロンもつき、今までの貧困生活からやっと妻を開放させることができ、公私共に、モネの人生の中で最良の時期だと言われています。

本作は、鑑賞者がモチーフを見上げる空間配置で描かれています。逆光の効果と風になびくベールによって、おぼろげにしかカミーユの顔が見えません。また、空と雲が気品ある白い衣装と渾然一体となって幻想的な雰囲気を醸し出しています。

退屈そうなジャンも可愛く、草原の草花の暖色と人影も効果的に作品を演出しています。心地良い風と日差しの下、幸せな家族が草原を散歩する途上、夫妻が幸せそうに見つめ合う光景が目に浮かぶようです。

下記に本作と関連のある2作品を紹介します。


戸外の人物習作、右向きの日傘の女 (Essai de figure en plein air, dit Femme a l'ombrelle toumee vers la gauche)

出典 www.flickr.com Lサイズ(868×1280, 324 KB) オリジナル(1320×1946, 2264 KB) ※ 2013/03/12

解像度: ★★★★☆ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1886年
W 1077
キャンバスに油彩 131 x 88 cm
オルセー美術館 パリ


この作品はジヴェルニー近郊のオルティエ島の土手において、オシュデ夫妻の三女で、当時18歳だったシュザンヌ・オシュデをモデルに制作されました。

衣服とベール、土手の草花は、やや強めの風になびいていますが、陽光を浴び、シュザンヌはとても気持ちが良さそうです。


戸外の人物習作、左向きの日傘の女 (Essai de figure en plein air, dit Femme a l'ombrelle toumee vers la droite)

出典 www.flickr.com Lサイズ(862×1280, 268 KB) オリジナル(1320×1960, 789 KB) ※ 2013/03/12

解像度: ★★★★★ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1886年
W 1077
キャンバスに油彩 131 x 88 cm
オルセー美術館 パリ


上記の「右向きの日傘の女」と対の作品として制作された本作は 、カミーユをモデルとし描かれた上記の「日傘の女」と構図、服装が酷似しています。

また、モデルの腰に飾られた「ひなげし」のコサージュ、顔がベールに覆われ目鼻立ちが描かれていないことも、「7年前に亡くなった妻カミーユに対するモネの悔恨が本作に反映されているのではないか。」という連想を抱かせます。

「風景と人物との融合を試作して意図的に顔に筆を入れなかったのか。」「カミーユへの深い想いから筆が止まってしまったのか。」どちらなのでしょうか?

私は後者だと思います。

2012年12月8日土曜日

モネの「草上の昼食」


モネの「草上の昼食」はマネの「草上の昼食」に感銘を受け、制作したものです。

マネの「草上の昼食」は、絵画の背景や人の配置は、実在する古典的な作品を参考にして描いています。しかし、二人の男性は正装をしているのに対し、一人の女性だけを裸で描いたことから、当時のサロンに一大スキャンダルを巻き起こしました。

それまでの西洋絵画においては、神話や歴史上の出来事を描いたものに対しては、それがどんなにエロチックなものであっても受け入れられてきました。

しかし、現実の女性の裸体を、しかもそれが強調されるようなシチュエーションで描いたマネの作品は画期的ではありますが、大きな批判の的ともなりました。


草上の昼食 (Le Dejeuner sur l'herbe)

Lサイズ(1280×994, 213 KB)

エドゥアール・マネ 1862-63年
キャンバスに油彩 208 × 265.5 cm
オルセー美術館 パリ


しかし、私が面白く凄いと思うのは、スキャンダラスな側面よりも、モネなどの新鋭の画家たちが、それぞれの感性でマネのこの作品を解釈し、オマージュしたり 、対抗的とも解釈できる作品を残していることです。

モネの場合は、この絵をヒントに、ピクニックで昼食を楽しむ紳士、淑女を、アトリエで描くのではなく、戸外で制作し、外光の効果をうまく利用することにより、先進性を表現しようとしています。


歩く人(習作) (Les Promeneurs)

出典 www.flickr.com Lサイズ(963×1280, 323 KB) オリジナル(1320×1755, 585 KB) ※ 2013/03/07 更新

解像度: ★★★☆☆ おすすめ度: ★★★☆☆

クロード・モネ 1865年
W 61
キャンバスに油彩 93 x 69 cm
ナショナル・ギャラリー ワシントン


草上の昼食(習作)(Le Dejeuner sur l'herbe)

出典 www.flickr.com オリジナル(1320×932, 412 KB) ※ 2013/03/07 更新

解像度: ★★☆☆☆ おすすめ度: ★★★★☆

クロード・モネ 1865年
W 62
キャンバスに油彩 130 x 181 cm
プーシキン美術館 モスクワ


草上の昼食(サロン出品用) (Le Dejeuner sur l'herbe)

出典 www.flickr.com オリジナル(932×1057, 764 KB)

解像度: ★★☆☆☆ おすすめ度: ★★★☆☆ 

クロード・モネ 1865年
W 63
キャンバスに油彩 460 x 600 cm
オルセー美術館 パリ

detail 1

出典 www.flickr.com Lサイズ(452×1280, 155 KB) オリジナル (1320×847, 282 KB)

detail 2

出典 www.flickr.com オリジナル (1320×1470, 503 KB)


サロン出品用の草上の昼食は 、サイズが大きいこともあり、目標としていたサロンの期日までに制作が間に合わなかったこと、クールベから批判を受けたこともあって、結局サロンに出品されませんでした。

また、当初マネの手元にあったこの作品は、家賃代として大家に取られてしまい、数年後取り戻した際には損傷が激しく、上記の左側部分と中央部分以外は取り除かれてしまいました。個人的に、とても残念です。

マネの「草上の昼食」は1963年の完成当初は「水浴」という題名でしたが、1967年にモネの作品を意識して自ら改題しました。私にはどちらの題名も絵の内容に、マッチしていないように思います。